ストーリー、デートのネタバレはございません。
穏やかな陽気が身体を包み込み、思わずまどろんでしまいそうな空気感。
生温い風がまとわりついて、思わず欠伸がでてしまう。
たまには気分を変えようと、外でランチをとろうと思ったのは間違いだったかもしれない。
カフェで購入したサンドイッチを手にしようと思った瞬間、スマホのメッセージが届いたのを確認した私は、
仕事の連絡かと思い慌てて開いてみるがその心配は杞憂であった。
『ポテチ姫、俺、連ドラの初出演が決まったよ!』
思わず彼の、弾けるような喜びの声が聞こえてきそうなメッセージに、私はそっと微笑んだ。
彼には申し訳ないけれど、私は既に、このことを知っていた。
キラが出演するドラマ「あの日のノクターン」と、我が制作会社は契約を結ぶことに成功し、
ドラマ制作秘話や、キャストの素顔を特集する番組をつくることが決定していたのだ。
でも、スマホの文面から、「どう?びっくりしたでしょ?君のその顔がみたかったんだ!」と言いたげな
キラの心の声が聴こえてくるようだったので、
その事実を知っていたことは、なんだか言い出せなかった。
私はクスリと笑って、真実を秘めたまま、文字を打ち込む。
『ほんと!?すごい!私も見るの楽しみにしてるね!』
『喜んでくれて嬉しいよ!頑張るから、絶対に見てほしいな』
テレビの前からではなく、実際に撮影現場で私が彼を見ていたら、彼はどんな顔をするだろうか。
想像するだけでなんだかおかしくなってしまって、私は思わず1人で口角を上げた。
『Fakeの隙間』は、今話題の、少女漫画を実写化した、今春放送予定のドラマだ。
人気シンガーソングライターである男性と、田舎から上京してきたキャリアウーマンとのラブストーリー。
テレビやファンの前ではひたすらに優しい男を演じているが、実は誰に対しても冷めていて、クールで厳しい性格をした歌手に、
偶然に出会ってしまったOLは恋をするが、相手は誰もが知るシンガーソングライター。
仕事人間で、彼のことを全く知らなかった彼女は、その事実に打ちのめられそうになるも、テレビで見た彼が、
出会った時の印象とまったく異なっていることに疑問を抱き、本当の彼を知りたいという思いから、距離を縮めていくという筋書きだ。
本屋で原作漫画を購入し、早速家で読んでみた私は、ついついのめり込んでしまい、思わず仕事だということを忘れてしまいそうになった。
仕事ばかりで、恋を知らなかったヒロインが、雲の上の世界に住む彼に素っ頓狂な方法でアタックしていく流れは毎回思わず笑ってしまうし、
彼の過去や、冷めた性格になってしまった背景をひょんなことから知ってしまい、
知られてしまったことに気付いた彼に、拒絶されるシーンは涙なしには読むことができなかった。
2人のラブシーンは、心臓がきゅっと痛むほどにいじらしく、何度もページを読み返してしまうほど切ない。
なるほど、これは実写化したくなるのも、わかる。
それにしても、こんなにも人気作品に、キラが抜擢されるだなんて、本当にすごい。
勿論大人気アイドルである彼は、数々のドラマや映画にも引っ張りだこで、多くの作品に出演してきたが、
今回は、俳優を本業としている人でもなかなか手の届かない、誰もが憧れる月9の主人公。
キラにとって、もっとキャリアを積む大きなチャンスであるに違いない。
そんな彼の為にも、ドラマでは伝えきれない彼の魅了を引き出せるような番組をつくろうと私は決意した。
***************
そして、ついにドラマ撮影の取材当日。
この日は、2人の出会いのシーンということで、夜の公園で撮影をするようで、
私もその関係者の中に混じり、番組制作のための取材と称して見学させてもらえることになった。
撮影が終わったあと、キラとヒロイン役の女優さんには、番組のためのインタビューをする段取りになっているが、
キラは、そのインタビューを私が担当していることは知らないはずだ。
ドラマが決まり、ますますハードスケジュールに拍車がかかった彼にここ暫く会えていないのもあり、
忙しいところ連絡をするのがはばかられたのもあるが、たまには彼の驚いた顔が見てみたいと思ってしまったのも本音だ。
『…だれえ、あんた?』
『…こんなとこで寝てんじゃねえよ、不愉快だ』
『なっ…』
仕事のミスで傷付き、酔い潰れて公園のベンチでうとうとしていたヒロインの肩を叩くキラ。
いつもとびきりの笑顔を私たちに向けてくれた彼だけれど、今回の役は真逆。
こんなに冷めた瞳で、ぞくりとするほど冷たい言葉を放つキラを見るのは初めてで、私は思わず息をのんだ。
すごい。
目の前で撮影をしているのは、間違えなくキラだ。でも、キラじゃない。
彼は今、間違えなく、優しいシンガーソングライターから、素に戻った冷たい男を演じている。
彼の、「プロの仕事」を感じ、ドキドキと胸が高鳴っていくのを感じた。
舌打ちをしながらも、自販機で水を買い、ヒロインに強引に放り投げて立ち去る彼と、一瞬目があった。
彼の目が一度見開かれるのが分かったが、すぐに役に戻り、瞳に影を宿して、そのままフェードアウトしていくキラ。
そのままカットの声がかかり、監督からOKが出ると、キラはほっとしたように微笑んだ。
どうやら、いつもの大人気アイドルキラに戻ったようだ。
私もホッとしていると、監督とヒロイン役の女優さんで言葉を交わした後、彼は一目散に私のもとへやってきた。
「ポテチ姫!どうしてここに?」
「…びっくりさせちゃってごめんね。連絡するのも申し訳なくて報告出来なかったんだけど…
この後のインタビュー、実は、うちの制作番組の企画だったの」
「そうなの?知らなかったよ…!」
驚きつつも、彼は表情を綻ばせてくれた。
「ドラマ放送前に、撮影秘話を特集してくれる番組を放送するって聞いてたけど、まさか君が担当だったなんて!嬉しいなあ」
「私も、初めは、まさかキラが主演のドラマだったなんて知らなくて、聞いたときは驚いちゃった」
「…でも、安心したよ」
周囲の人々がこちらの会話を聞いていないことを確認すると、彼は私に内緒話をするように声を落としてそっと耳元で私に言葉を紡ぐ。
「実は、ちょっと緊張してたんだ、今回の仕事…。でも、君の顔を見たらほっとして、肩の力が抜けたんだ。来てくれてありがとう」
彼の意外な本音を聞き、私は思わず一瞬固まってしまったが、次に生まれた感情は「喜び」だった。
彼の演技からは、そんな緊張や不安、一切伝わってこなかったのに。
それを私に吐き出してくれるなんて、少しでも彼の力になれているような気がして、嬉しかった。
スタッフから呼ばれたキラは、はいと返事をし、私を振り返る。
「インタビュー終わった後、時間あるかな?少しだけ話がしたくて…」
「…うん、撮影した映像を確認したら、もう遅いし、そのまま直帰の予定だったから」
「じゃあ、軽く食事でもしよう。君に、聞いてもらいたいことがあるんだ」
約束だよ、と私の小指に、彼の綺麗で整った、私より一回り大きい小指が絡み、そのまま離れる。
それが、どういうわけか名残惜しくて、彼の温もりが宿った小指を、そっと包み込むように、きゅっと握り込んでみた。
彼が立ち去り、スタッフと会話をし始めたのを見届けた後、私も段取りを確認しようと進行表を取り出した瞬間、肩を叩かれたので顔を上げた。
「…あなたが、この後のインタビュー担当の記者さん?」
気付くと、ヒロイン役の女優が目の前にいて、私は慌ててお辞儀をして、名刺を差し出した。
彼女はそれを興味もなさそうに、適当に片手でつまんだ。
彼女は若手実力派女優として名高い、今数々のドラマや映画に引っ張りだこの有名女優だ。
可愛らしい容姿に相まって、どんな役柄でもこなしてしまうカメレオン女優とも言われるほど、業界内での評価も高いらしい。
いつもにこにことした態度で、バラエティや、記者会見に出ている様子を見たことはあったが、
今、目の前にいる彼女はさも不機嫌ですという様子で私を睨み付けている。
「あなた、キラくんのなんなの?知り合い」
「…えっと知り合いというか…」
なんと言っていいか分からず、言い淀んでしまうと、彼女は大袈裟にため息をついた。
「監督は気づかなかったみたいだけど、さっきの撮影、あなたと目があった瞬間、彼が一瞬緩んだのが分かった。撮影の邪魔するくらいなら来ないでよ」
「す、すみません…」
「…迷惑なのよ、あなたみたいなの」
尖った一言をわたしに突き刺し、そのままメイクを直しにスタッフの元へ戻っていく彼女の背中を見ながら、私は密かにため息をついた。
確かに私も、少し公私混同していたところがあったかもしれない。反省しなければならないところがあることは、紛れもない事実だ。
この後のインタビューが少しやりにくくなってしまったと、私は内心頭を抱えた。
************
「どうしたの?ポテチ姫?さっきから全然たべてないけど…具合でも悪い?」
インタビューは、なんとか平静を装い、彼女も仕事モードに入り常に笑顔で対応してくれたため、滞りなく終わり、
撮影内容のチェックが終わった後、キラからメッセージが送られてきたお店で待ち合わせて、食事をとっていた。
あの女優との一件は、これからも彼女と仕事を続けていく彼には伝えにくかったので、私は笑って誤魔化しながら、パスタを口に運んだ。
彼御用達なのであろう、個室イタリアンのレストランは、ピアノのBGMが流れる落ち着いたお店で、ゆっくり話をするにはうってつけで、
今度なにかの特集でマッチする企画があれば、取材に行ってもいいかもしれない。
「ごめん、なんでもないの。ちょっと疲れちゃって…」
「…夜遅くの撮影だったから、待ってるのも大変だったでしょ?」
「そんなことないよ!ずっと撮影があったキラの方がずっと大変でしょ?それなのに、あなたの演技、すごくよかった。なんだか、いつものキラじゃないみたいで」
「…いつものキラじゃないみたい、か」
彼はフォークとスプーンを置き、少し俯いたので、私は心配になって彼を覗き込む。
「…キラ?」
「…いや、実は、そのことでちょっと悩んでたんだ。今回の役…初めて演じる役柄で。
今までは、みんなの大好きな、アイドルキラのまま演じられる、明るい役ばかりだったけど、今回は影があって冷たい役だから…。
今日は大丈夫だったけど、リハでは、なかなか監督からOKが出なくて大変だったんだ。
何か違うって言われてて…今回の役、実は未だに掴みきれていないんだ。」
苦笑しながら、胸に抱えていた思いを私に告げてくれた彼を見て、私はなんと言っていいか分からず、彼の少し不安げに揺れる瞳を見つめた。
演技に対して、こんなに悩んでいたなんて、カメラを前にしていたキラからは微塵も感じられなかったのに。
彼の中には、こんなにうごめく不安が隠されていたなんて。
「相手役の彼女は、俺と年齢も変わらないけど演技力に定評がある方だし、迷惑かけちゃわないかなっていうのもあって…心配だったんだ。
リテイク出すことも多いし、今のところは、気にしないでって言ってくれるけど、迷惑かけちゃってるよなあって…」
嫌なイメージもたれることには、慣れてないのになあ、なんて冗談めかして彼は笑った。
相手役である彼女のことを思い出し、私の目は泳ぎかけたが、必死に堪える。
先程の一件で、彼女は仕事に対して厳しく、常に本気であることがわかった。
キラが嫌なイメージを持たれるところなんて想像も出来ないが、
私よりもずっと、仕事に真摯に取り組む彼女のことを知っているに違いないキラは、プレッシャーを感じているのかもしれない。
「…ねえ、キラ。大丈夫だよ、あなたはもっと自信をもって演技すればいいと思う。
自分と真逆の役ってことは、考え方を変えれば、とってもやりやすいんじゃないかなって思うけど…」
「えっ?」
どういうこと?とばかりに、目を丸くした彼に、私は言葉を続けた。
「クールで冷たくて厳しい…まるでいつものキラと真逆でしょ?
それなら、いつもとまったく逆の自分を造っちゃえばいいんだよ。
かえって、少しだけ自分と違う役より、役作りが明確でやりやすいって思えばいいんじゃない?
大丈夫、キラなら絶対できるよ…!」
私の言葉をキョトンとしながら聞いていたキラだったけれど、次第に顔が緩み、堪えきれなくなったように笑い出した。
「すごいな、ポテチ姫は…君がそう言うと、本当に簡単にできちゃいそうだよ」
「…わ、笑わないでよ」
私としては、本気のアドバイスだったのに。少しむくれた私の手を、ごめんと言いながら撫でる彼に思わずどきりとした。
「…ありがとう、俺、やってみるよ。なんだか久しぶりに力が湧いてきたなあ。君って本当にすごいね!」
そう言いながら笑う彼は、やっぱり誰もに愛される素敵なアイドルだった。
************
数週間後、2回目のインタビューと、撮影中の様子を、番組用に撮影させてもらうために、再びドラマの撮影現場へ赴くことになった。
ストーリー的に佳境のシーンを撮影しているようで、今日は2人が出会った夜の公園で、想いを通わせていることにお互い気付きつつ、
離れていく重要なシーンを撮るようで、キラからは昨日『とても大切なシーンだから、緊張するけど君が見てくれると思うと嬉しいな』と
メッセージが来ていた。
現場からは、少し緊張感が漂っていて、前回来た時よりずっと空気が重い。
『撮影後は、またご飯に行こう。それを楽しみに頑張るよ』
もちろんだよ、がんばってねと返信をしたが、彼の文面から漂う、ほんの少しの不安に私まで怖くなってくる。
よほど大変なシーンなのだと思い、私は前回の反省を活かして、後ろの方で固唾を呑んで見守ることにした。
『…どうして来なかったんだ、この前のライブ。チケット渡してやっただろ』
『…あーごめん、用事があって』
『お前、この間からどうしたんだよ、何かあったのか?』
キラが彼女に触れようとした手を、ヒロインが払い除ける。
はじめての拒絶に絶望の色で染まった瞳を彼女に向けるキラ、自分で自分がとっさにとってしまった行動に驚き、息を呑むヒロイン。
すごい。2人とも、役に入り込み、迫真の演技を魅せている。
キラの演技は、数週間前に見たものと全く違い、硬さがなくなって堂々と演じているのがわかる。
『…ご、ごめんなさい』
ヒロインは、彼の過去を知ってしまい、自分が踏み込んでいい相手なのか戸惑っている。
そんなことに気づいていない彼は、急に態度が変わった彼女に苛立ちを隠せていない。
『…待てよ!』
キラは走り去りそうな彼女の腕を掴み、こちらをむかせる。
そして、震える彼女の肩を掴み、そのまま彼女を強く、強引に抱きしめた。
まるで怯えているかのように、彼女にすがる彼の様子を見たその瞬間、私の心臓が嫌な音を立て始めるのがわかった。
『お前も、俺から離れていくのか…?』
彼がセリフを発する度に聞こえてくる、私の中の、嫌な、歪な音。
『行くなよ…』
どういうわけか、この場にいるのが、とてつもなく、苦痛に感じられた。
************
その日はインタビューを終え、キラに挨拶もなくそのまま帰ってしまった。
彼からは、『今日、どうして先に帰っちゃったの?』とメッセージも来ていたのに、
私は既読をつけることもできなかった。
明日も仕事なのに、眠気はやってこない。
ベッドの上にごろりと寝転がったまま、指一本動かすのも億劫で、
今の自分の気持ちを把握しようと考えを巡らせたかったが、頭が考えることを拒否していた。
先ほどのキラの演技が、ずっと頭の中でフラッシュバックする。
どうして私は、あの後、彼から逃げるように帰ってきてしまったのだろうか。
彼は、堂々と、自分と真逆の役を造り上げ、演じていた。
凄かったよ、ぐんとよくなっていたね!と声をかけたかったのに。
今日は私が奢るから、お疲れ様会しようか?と誘いたかったのに。
私はそれらを全てを投げ出して、仕事だけをこなして帰ってきてしまった。
「はあ…」
大きなため息が1人の部屋にさみしく響き渡った後、私のスマホが音を立てて思わずびくりとする。
おそるおそる画面を覗くと、やはり、キラからの着信が表示されていた。
とても出る気分になれなくて、暫く無視を決め込んでみたが、どれだけ待っても一向に着信音は止まらなかった。
私はおそるおそるスマホを手に取り、一瞬ためらったが、電話に出た。
『…もしもし?』
『ポテチ姫、今日は黙って帰っちゃって、どうしたの?』
『…ごめんね、家でやる仕事が溜まってたから、帰ってきちゃったの』
『…そっか。無理はしちゃだめだよ?』
『うん、ありがとう』
『…これだけは伝えたかったんだ。君のおかげで、自分の中でストンと落ちるみたいに、
どういう気持ちで演じればいいのかがわかって…撮影も順調にすすんでるんだ。どうだった、俺の演技?』
『…とても』
よかったよ。
そう言いたかったのに、言葉につまる。
彼は、今日の演技を、私に、見てもらうのを楽しみにしていた。
ヒロインを想いのままに抱きしめるその演技を。そのことが、どうしてか、こんなにもひっかかる。
『…次は、最終回の撮影で会えるよね?』
『うん、その日はクランクアップ後のインタビューを撮らせてもらうから…』
『そうだ、その日なんだけど…』
キラは、そのまま無言になってしまう。
『…キラ?』
『いや、なんでもないんだ!忙しいところごめんね、早く寝るんだよ?』
『…うん、キラもね?』
そのまま私はそっと電話をきって、再びベッドに寝転んだ。
************
『キラさん、クランクアップです!お疲れ様でしたー!』
ラストシーンは、いつも転機点となった公園。でも夜ではない、初めての昼下がりの撮影。
春の陽気に照らされ、桜が舞い散る中、彼女を回顧し、初めて涙を流すキラのシーンだった。
綺麗なのに、どうしようもなく切ない涙は、本当に美しい。
私も思わず、ぽろりと涙の粒が頬を滑り落ちていくのを感じた。
キラがスタッフに拍手をされ、花束を受け取り四方八方にお辞儀をし、監督も満足げにキラの肩を叩いていた。
視聴率も期待以上の数字を叩き出していて、SNSでも常に話題になっていた。この最終回も、間違いなくいい数字が出るだろう。
「ここまでやり遂げることができたのは、皆さまのおかげです!支えてくださり、本当にありがとうございました!」
再び大きな拍手に包まれ、スタッフが代わる代わる彼に声をかけていく。
それが落ち着くと、私も撮影の準備を整えて、最後のインタビューを撮らなければならない。
久々に彼と対峙することは、少し気まずいと感じたが、彼はいつも通りの笑顔で、私の質問をカメラに向かって答えてくれた。
どこまでいっても彼はプロだ。
ありがとうございましたとお辞儀をし、撮影内容を確認しようとスタッフを集める前に、キラはそっと、私とすれ違いざまに一言だけ告げた。
「19時に、またここにきて」
えっ、と声を発する前に、彼はすでにその場を立ち去っていた。
************
少し迷ったが、私は彼の言う通り、19時より10分くらい前に公園を訪れてみた。
撮影時の活気はどこへやら、しんと静まり返った中、キラはすでに最後の演技を行ったベンチに座って私を待っていてくれた。
「…昼のお花見もいいけど、夜桜もいいでしょう?君と一緒に見たかったんだ」
彼は、私に隣を勧めたので、おそるおそる腰かける。
「…こうしてゆっくり話せるの、久しぶりだね」
「ごめんなさい、前、私が何も言わないで先に帰っちゃったから…」
「…いいんだよ、気にしないで」
いろいろ思うところはあるに違いないのに、笑顔で流してくれる彼の優しさが、かえって辛かった。
そんな彼に、今日は言わなければならないことがある。
必ず、今日、彼に、伝えたかった。
「…キラ、これ…」
私はそっと、彼に紙袋を手渡した。
「お誕生日、おめでとう」
キラは目を丸くして私と紙袋を交互に見る
「知っていてくれたんだ?」
「勿論だよ、キラの誕生日を知らない訳ないよ。あの日も、電話で、次に会う日、誕生日なんだよって言いかけたでしょ?」
「あれっ、ばれてた?」
2人で思い切り笑った。こんな風に、心の底から思い切り笑えたのは、久しぶりな気がした。
「あけてもいい?」
私がうなづくと、紙袋からは、百貨店で購入した、ラッピングされたブランドチョコレートが出てくる。
見た目がかわいらしくて、すぐにこれだと決めたが、喜んでくれるかは少し不安だった。
物を贈ろうかともあれこれ考えたが、アイドルキラはファンやスタッフから様々なものを貰うに違いない。
悩んだ結果、他の方と被っても困らない、彼の好きそうな美味しいお菓子を贈ることを決めたのだ。
「わあ!チョコレート?」
「うん、インタビューでも今回の役造りのために、節制してるって言ってたでしょ?終わった時くらい、甘いもの食べて欲しいなあって」
「ありがとう!うわあ、嬉しいなあ、食べるのもったいないよ!」
「そんなこと言わないで、ちゃんと食べてね?」
「ふふっ、もちろん!」
彼は早速包みをあけて、すぐにここで食べてしまうのかと思いきや、そっと、私にチョコをひとつ差し出してきた。
「…わ、私はいいよ!」
「そんなこと言わずに」
私の手の平にチョコレートを置こうと、そっと手に触れた瞬間、私は反射的に手を振り払ってしまった。
それは、どこかで見た瞬間だった。
彼は目を見開き、私は自分の行動が信じられず、振り払った手を、見つめることしかできない。
私、今、どうしてこんなことを…。
でも、キラはすぐにふふっと微笑んで、かたまった私を優しく抱きしめた。
私の中で止まってしまった時間が、彼の温もりでほぐれて、再び動き出す。
これは、どこかのシンガーソングライターのような、乱暴な抱擁ではない。どこまでも優しく、温かい、彼の抱擁。
それは紛れもなく、今ここにいる、キラの抱擁だった。
『お前も、俺から離れていくのか…?』
あのシーンのセリフを口にしたが、それは演技中のものとは異なっていた。
あの時のような、切なく、緊迫した言い回しじゃない。これは、他でもない彼が、キラ自身が、口にしたセリフだから。
「…あの日、どうして俺を避けたの?」
「…分からないの。キラがあの女優さんを抱きしめた瞬間、なんだか胸が痛くて…居た堪れなくなってしまったの」
「…君、もしかして嫉妬してくれたの?」
「え?」
嫉妬?私が?
キラがお芝居で抱きしめた女優さんに、嫉妬していたの?
顔中に全身の熱が集まってしまったかのようにカッと熱くなり、私は思わず俯く。
「…ふふっ。嬉しいな。でも、やっぱりこうして抱きしめるなら、君がいいなあ…」
「…キラ」
『行くなよ…』
また、あの役のセリフ。
でもこの言葉を呟いているのはキラだ。
今目の前で眩しいくらいの素敵な笑顔を向けてくれている、キラの言葉だ。
あのシンガーソングライターとして、女優に向けて発したセリフじゃない。
それが嬉しくて、なんだか可笑しくて。
私は思わず笑ってしまった。
「やっぱり似合わないかなあ、このセリフ」
「…キラの演技は素敵だったけど、やっぱり今のキラが1番好きだなあ」
「…今の、俺?」
「うん。いつも笑顔を向けてくれる、今の優しいキラが、私、1番好き」
キラは一瞬ハッとしたような表情を浮かべ、そのままなぜか少しだけ俯いたので、どうしたのだろうかと顔色を伺おうとしたが、
すぐにまた優しく彼の腕に包み込まれた。
「ごめんね、ポテチ姫」
どうして、謝るの?
そう言いたかったのに、彼の腕の力が少しだけ強くなって、どうしてか私はその言葉を飲み込んでしまった。
ふわりと、優しい風が私とキラを包み込む。
心地の良い風にのって、舞い踊る桜が彼の背に着地したが、私はなぜか少しも動けなくて、その花びらをとることができなかった。
キラくん、お誕生日おめでとう!これからも、あなたの素敵な笑顔を、たくさん見せてください!いつもありがとう…!
